きまぐれ猫のDiary

日常生活の備忘録

人との繋がりは儚い

コロナ禍になって人との繋がりや関わりが減って悲しいという記事を数年前に結構見た。

 

コロナ禍になる前から私は拠点を転々としていて、友達が周りに住んでいないのは日常で、連絡はSNSだけの状態が何年も続いていた。

1人でも平気だった。

 

だからコロナ禍で誰とも会えない日が続いていても、対して何も思わなかった。いつもと変わらないと思っていた。

友達とは少なくてもSNSで繋がっているんだし、いいんじゃない?と冷めた感情を持っていた。少しの我慢だよ、と。

 

でも今は学校に行き、友達も出来た。

毎日クラスメイトと顔を合わせ、他愛もない会話をしたり、遊びに出掛けたり、

近くに友達がいる環境を久しぶりに経験している。

 

そんな中、コロナに罹り、10日間の自宅療養。

私は1人暮らし。

 

今、初めて『コロナ禍になって人との繋がりや関わりが減って悲しい』という気持ちが理解出来た。

顔を合わせて話をすることが日常だったのに、会えない非日常がこんなにメンタルを削がれるのかと、苦しみがようやくわかった。

 

たったの10日間なのにこんな風に思うのは、メンタルの弱さ(笑)もあるが、恐らく『人との関係を構築する』ことについて最近考えることが多かったからだろう。

 

詳しくは下記ブログにて。

悲しかったこと - きまぐれ猫のDiary

嬉しかったこと - きまぐれ猫のDiary

 

誰にも会えないからこそ、お久しぶりの人に『元気はどう?最近どうしてる?』ってふと言いたくなった。

自分から寄り添わないといけないと学んだから。

 

だから連絡しようとした。

 

だけど、私の連絡先に彼らはいなかった。

 

消されていたのだ。

 

そして相互フォローだった友達からも複数フォローが外れていたのを発見した。

彼らの人生に、私は必要ないと判断されていた。

 

 

人との繋がりって本当に儚いものだなって感じる。

人の優しさに甘えていると、その優しさに胡坐をかいていると、その人に愛想を尽かされて離れていく。

 

失ってから気づくことの虚しさと悲しさにいつも後悔する。

 

今までは仕方ないこと、人生のステージは人それぞれ日々進化するからだと思ってきたけど、きっと違う。

自分が相手を大事にしていなかったから、私も大事にされないのだ。

 

昔とある先生が言っていた。

友情は永遠には続かないよ。続ける努力をしないと。

 

心に残っているのに、私はいつもその努力が足りてない。

 

このコロナ禍に気づくことってきっといっぱいあるんだろうな。

きっと2年前からみんなが気づいていたことを私はようやく気付き始めた。

いつもスタートが遅い。

 

つまらないプライドとかは捨て、自分から人に歩み寄らなければ、と思った。